休日は楽しみにして良い、その先が有るのなら。

「休日を楽しみにしてるなんて、人生終わってる。」といった身も蓋も無いような意見を目にする事があります。言い換えると「仕事が楽しく楽しくて、毎日働きたい。休むなんて有り得ない。」という筋肉質な主張なのでしょう。

仮に「休日を全く楽しみにしない人生」が最善だとしましょう。土日という概念が無いです。毎朝起きたらオフィスへ行き、夜になれば家に帰る。そして年をとり死んでゆくと。

いささか極端な物言いですが、こういう生活がベストという事でしょう。

一方で「休日が楽しみでしょうがない人生」になると、月曜から金曜までは憂鬱で早く時が流れないかと思っているのでしょう。あぁイヤだイヤだと思いながら土曜日を心待ちにしています。

こちらもまた極端な話ですが、少なくともベストとは言えないですね。

さぁ、ラットレースを全速力で回っているサラリーマンは、どちらに向かえば良いのでしょうか。休日を楽しみにすべきか否か。

サラリーマンとは組織の力で利益を生み出している人たちです。組織とは人と人とが擦り合いながら運営されていますので、摩擦(ストレス)が発生するのは必然です。そんな摩擦によって摩耗する日々を休み無く続けていれば、いつしかすり減って自分自身が無くなってしまいます。

ですので、楽しみかどうかはさておき、摩耗した部分の回復のために休日は必ず必要です。

それを楽しみにして良いかというのが論点なのですが、楽しめる事を楽しまないのはそれこそ何のための人生かという所です。全力で余暇を楽しむべきだと思います。

大事なのはそこに変化と挑戦が有るかです、定年までダラダラと休日を楽しみにする生活を続けてしまえば、それ以降は毎日が休日だが楽しくない日々になるでしょう。ダラダラサラリーのみを取得したが故に経済的基盤を築けてないからです。細々と少ない貯金を必死に守りながら暮らす事になるでしょう。

つまり未来を見据えているサラリーマン的には「やりたい事のためにやりたくない事をやっている。」ので「休日を楽しめる。」状態が望ましいと考えます。

「不動産投資の資金作りのために、サラリーを稼いでいる。」とか「コツコツ株を買いますために、サラリーを稼いでいる。」といった何々のために、何々をしている、それはそれは疲れる事だが継続するために休日を楽しんでいると思えれば筋肉質な意見に相対して卑下したり、後ろめたくなったりする事は1mmもありません。

何事も一足飛びはございません。コツコツ続けた者にのみ道は開けるのです。

そして、休日がいらないという意見はストレスが低い状態だと思います。全てがコントローラブルで皆が自分を認めていて、心理的に充足している状況でしょう。全能感があって何をやってもうまくいきそうな気がするのでしょう。

しかしながら、その状態を続けても、あまり得るものが無いのではと思います。死の淵ほど生は輝くものです、逆境や苦難を目の当たりにして己の至らなさに絶望してから人は成長すると思います。ちっぽけな自分を認識しないと大きくなった自分も認識できません。

自分だけのかけがえの無い人生ですので、マッチョな意見を目の当たりにしてふらつかないようしましょう!

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